どんなことで人は不快になるの? 代表的な4パターンを紹介

学校にせよ社会にせよ、人が複数人で集まってやりとりする以上、誰かを不快にさせたり、逆に不快にさせられたりといったことは尽きないものです。(たとえそれが子どもであれ、大人であれ)

人が不快になる理由というのは、ある程度パターンをしぼることができます。今回は不快になる代表的なパターン4つを紹介します。

自らの時間が無駄にされていると感じたとき

だれしも、自分のために時間を使いたいものです。学校でも仕事でも、なにか必要があって自分以外のために時間を拘束させられるのであれば、少なくともその時間は無駄に長引かせることなく、さっさと終わらせたいものですよね。

そんなとき、信じられないほど効率の悪い方法でのタスク消化を求められたり、みじんも役に立たなそうな講釈で時間を費やされたりしたら、それは腹が立つのも当然ですよね。

誰にとっても一日は24時間で、その限られた枠をどうでもいいことで狭くするのは、喜ばしくないことです。

特に明確にやりたいことがあり、時間にも追われている忙しい人ほどこの傾向は強いでしょう。

無能であるかのように扱われたとき

スポーツにせよ、頭脳労働にせよ、能力を発揮することは気持ちの良いことです。能力がある人は、限られた枠の中で様々なことができます。スポーツであればちょっとしたボールの扱いにひとひねりいれたり、頭脳労働であれば他の人が思いつかない自分なりの冴えたやり方で成果を出すことだってできます。

しかし、誰かがあなたを無能だとして扱うとき、その誰かはあなたに【誰にでもできる手順に従ったやりかた】【型にはまった、ただなぞるだけでできるやりかた】を強制しようとします。得てしてそういった、誰にでもできるやりかたは、不自由で面白みもなく、しかも効率も悪い場合が多いものです。

このうような扱いを受けたとき、人が不快に感じるのは当然のことです。見下されたと思うだけでなく、相手への信頼も失うことすらあるかもしれません。

馬鹿げたことを要求されたとき

価値のない馬鹿げたことをやらされるのは、不快なものです。価値があるとわかるものは誰だって時間を費やしたいと思うでしょうが、価値がないと分かっているものをわざわざやりたいと思う人はいないでしょう。

馬鹿げた要求が増えれば増えるほど、その時間内にできたはずの他のことはできなくなっていきます。

生物として当然の振る舞いですが、自分の行動は自分が納得して行いたいものです。納得があまりにも難しい馬鹿げたことを不快感なしにできるほど、多くの人間はロボット化されていないのです。

不当な扱いを受けたとき

人は誰しもその度合いに高低はあれど、尊重されていたいと思うものです。尊敬しろと言うわけではありませんが、人と人との間の最低限の敬意さえない不当な扱いには、むっとしてしまうのが自然です。

あなたがもし今日の6時から用事があるとして、そのことを事前に必要な人に伝えていたのに、それを無視して『今日の7時の会議に出てほしい』なんて言われたら不快な気持ちになるのは当然ですよね。人間関係における最低限の尊重を踏みにじられたら、だれしも嫌な気持ちになるものです。

まとめ

人が不快になることそのものは、悪いことではありません。それは人間関係における『このままでは健全な均衡が崩れる』というサインです。

現実には、自分を不快にさせた相手にもそれなりの事情があるかもしれません。場合によっては知らず知らずのうちに、あなたも相手のことを不快にさせていたのかもしれません。

大切なのは、不快な気持ちが生まれたときに、そのサインに耳を傾けて、今後の健全な関係のためにどうすべきかを考えることです。

生きていく上で、不快なことは山ほどあります。ただ否定するだけではなく、またすべてを自分の中に溜め込むわけでもなく、必要に応じて健全なコミュニケーションをつくるためのアクションを起こすことも大切かもしれませんね。